
走攻守すべてにおいて、スピードとキレを追求する川端裕也選手。今シーズンも、不動のリードオフマンとして、“足”で勝負するつもりだ。

チームに合流したのは2月1日。春季キャンプからスタートを切ったわけですが、とてもやりやすい環境で、すぐにチームに溶け込むことができました。でも、練習は想像以上にきつくて、ついていくのに苦労しました。社会人野球は、とにかく濃い練習をする。改めて痛感させられました。 そんな中で迎えた東京スポニチ大会。結果的にヒットを打つことができましたが、最初だけでしたね(苦笑)。ある程度、社会人野球の厳しさはわかっていたつもりでしたが、スピードやキレ、そういうものに慣れるまでにだいぶ時間がかかってしまったという印象です。特別、スランプや、大きなケガがなかったのは良かったです。
試合前は緊張したのですが、試合が進むにつれてだんだん楽しくなっていきました。補強で来られた飯塚(智広=NTT東日本)さんが凄い方で、同じセンターというポジションもあって勉強になることが本当に多かったですね。1年を振り返れば、満足はしていませんが、得るものはたくさんあったシーズンでした。それを活かせるように今シーズンは頑張りたいと思います。
佐々木(誠)監督は、コーチ時代からよく、修正力、対応力と言われるのですが「修正の仕方はひとつだけではない」ということを感じました。打撃、そして野球の視野が広がりましたね。本当に、いい環境で野球ができていると思います。

小さい頃からずっと1番バッターでした。自分なりのリズムも作りやすいですし、やりやすい打順だと思っています。ポジションはセンターですが、外野手になったのが高校3年夏前です。それまではずっと、内野手をやっていました。高校の時、母校・神港学園の北原光広監督から「上を目指すなら外野をやれ!」と言われたのがきっかけです。
第一打席は、特に集中しています。自分は、固め打ちをするタイプですし、1番打者としても第一打席は大切にしています。僕は、走攻守すべてにおいて足を生かしたプレーが持ち味ですので、打つ、走る、守るすべてでスピードを求めています。

大学4年の春先まで進路が決まらず、夏頃には正直「硬式野球を辞めようかな」と思った時期もありました。でも、セガサミーの練習に参加させていただいて、何とか進路が決まって……。もし、ここがダメなら、本当に野球を辞めようと思っていました。
盗塁の記録だけで(ドラフト候補と)言われていたと思います。大学時代を振り返れば、2年春の練習時に右肘を痛めるなど、ケガもあって苦労が多かった。それでも、レギュラーになれるかどうかのボーダーラインにいたので、何とか我慢してやっていた感じです。
3年夏は三回戦で敗退しました。僕らの代の兵庫県は、大谷(智久=トヨタ自動車)がいた報徳学園が強かった。3年の春季大会準々決勝で報徳学園と対戦したのですが、やっぱり大谷はすごかったですね。高校レベルだと、当時の大谷の真っ直ぐは速かった。高校時代は、最後の夏だけ外野に回りましたが、主に内野手。バッテリー以外、すべてのポジションを経験しました。もともと右利きなので、ずっと右打ちだったのですが、高校2年の時に足を活かす意味合いもあって、左打ちに転向しました。
父親が、社会人野球の選手(大阪ガスでプレー)だったということもあり、子供の頃に都市対抗を観に行っていました。試合のビデオなどを見る機会も多く、その影響で野球を始めました。父親は、野球に対して本当に厳しい人で怒られてばかりでした。それでも、よくキャッチボールは一緒にしてくれました。本格的に始めたのは小学3年の時。姫路アイアンズでの野球が始まりです。小学校時代は投手兼遊撃手。打順は1番と3番が主でした。中学は遊撃手。打順はほとんど1番でした。小学校の時に陸上部に入っていましたし、今思えば子供の頃から足は速かったほうだったと思います。現在は、50㍍走5秒8。短い距離は速いほうだと思いますが、長距離走は並以下です(苦笑)。
京都は、お寺が多くその中でもやはり清水寺が有名ですね。ライトアップが綺麗で、秋は紅葉が最高です。デートスポットにもなっています!
パソコンを使ってデータを打ち込んだり、電話の応対が主な仕事です。
個人的には全試合フル出場が目標です。その中で求めるのは出塁率と盗塁数。プレーの安定感を求めつつ、今年も、足で勝負します!応援よろしくおねがいします!
2008.02.01